わたしたちに明日はない

映画をよく観てます

遠藤周作「沈黙」を読んだ

 

 10月もたくさん映画館に足を運ぶつもりが、急な遠出のため生活に窮するほどお金を使ってしまっていて、映画はけっきょくなにも観れていない。「ハドソン川の奇跡」だけはかならず観ると誓って…。

 

 秋だからかな、通勤時間電車の中でアイフォンをスッスするだけの時間をいまさら惜しく思って、ふたたび読書をスタートしました。積読のなかから来年マーティン・スコセッシ監督作「沈黙」が日本での公開を控えていることもあり、原作である遠藤周作大先生の「沈黙」をひっぱりだして読み始めたのですが、これはたいへんな傑作でした。映画もきっと観る。

 その前に原田マハさん作「シヴェルニーの食卓」も読了したのですが、そこそこ興味深かった反面、やっぱり映画「ソーシャルネットワーク」を観たときと同じようなきもちになってしまいまして…あんまりのれませんでした。これもまた感想は別の日に書くとします。

 

 

    あらすじはざっくりと、鎖国中で禁教令の敷かれた日本へキリスト教を布教しにきた宣教師のロドリゴ、日本人信者たちの無残な運命をいくつも目の当たりにし、祈りや賛美を捧げるキリストがそれでも彼らに救いを与えずただ「沈黙」していることに、まっすぐ信じて止まなかった自分の信仰や日本人の信仰そしてキリストの存在に対して疑念にかられはじめる、というかんじのはなし。

    はじめは、キリスト教、昔の日本、歴史書っぽい始まり方、どれもとっつきにくいというか正直「興味ない」と思っていたけれど(遠藤周作の「海と毒薬」が読みたくてそれを買ったときについでで「沈黙」も買ったので、あらすじは全く見ずに購入しました)、読み進めるにつれ、どんどんどんどん引き込まれていきました。今回の主題である、「神の沈黙」についてはじめてロドリゴが考えたときは、とてつもなくおそろしくかんじました。

    わたしは特段信仰心のない無宗教の人間だから、お腹が痛くなってトイレにこもるときくらいしか神様に祈ることはしない。いまさらイエスキリストなんていませんでした、といわれてもとくになんとも思わないし、実はブッダは架空の作り話のなかのひとでした、なんていわれてもふ〜んくらいにしか思わない。けれども、キリシタンだったり仏教徒だったりはたまたイスラム教徒だったり、様々な宗派にわかれ信仰してきた人々の歴史は、その信仰のために迫害をされたりそれこそ本作の禁教令最中のキリシタンたちはとてつもなくひどいめにあっていたりもする。同じ日本人でも信じるものが違うというだけで、命を落とす結果になっている。

    そういうひとたちや歴史にとって、「神様はほんとうは存在しないのでは」という根源的な問いというものは禁忌であり、絶望的な疑念…。おそろしすぎでしょ!この人たちは神様がいると信じて祈りを捧げ、迫害にあい棄教しなければ殺すぞと言われても最愛のキリストを裏切るような行為はできないと拒んで、拷問にかけられたりはては殺されたりしてしまっているのに、たしかにどれだけ祈っても祈っても、キリストからの救いもなくただしんでいく…。

    そのことに考えがいきついてしまってから物語がおわるまで続く暗い緊張感と、ロドリゴの葛藤がとてもすばらしい文章で描かれていて…これこそ不朽の名作だと思いましたよ…。

 

    ここからほんのりネタバレはいります。物語の結末がわかったところで読む価値のなくなる作品ではないとは思いますが念のため。

    二度めにキチジローに案内されて、捕まってしまったときの感情を、干した魚の味と喉の渇きで刻みこみ印象的にしているのがすごくうまい…あとで何度かその裏切りを思い出すシーンがあるけど、干した魚の味と喉の渇きのすごさに感激しました。 同じように途中、女キリシタンが胸の間から瓜をくれた、という出来事で女を印象づけて、女がしぬときもその出来事を思い起こさせることでその女の死がより身近なものに感じられました。

 

    そしてフェレイラ先生の登場ですよね。ロドリゴ司祭と対面させることでより一層、際立つものがあるといいますか。彼の存在と登場は大きかったです。そしてついに転ばされる日、閉じ込められた部屋できいていた声が鼾ではなく拷問にかけられている人々のうめき声だと知った時は、もう言葉もでません。なぜ転ぶと言わないのだ、ときいて、彼らはすでに何度も転ぶと言っているという返答。ロドリゴ自身が転ばない限り彼らはいつまでも拷問にかけられるなんて、そんなの誰も耐えることはできない…。

 

    とにかく心情の描写が素晴らしい作品でした。淡々と進むのに緊張感は絶えず、物語がどうなるかはなんとなくわかるのに読む手を止められない、名作です。とてもおすすめ。

 

 

 

 

おわり