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Flower of life

映画をよく観てます

感想:「俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde)」★★★☆☆

 
 「俺たちに明日はない」という邦題を考えたひとは、たいそうセンスが良い、と思いました。原題は「ボニー&クライド」という主役二人の名前が掲げられたシンプルなものなんだけれど、それをこういうふうに日本語のタイトルを変えてしまえるのは、かっこいい。わたしもそういうセンスを培いたいと常々思うのだけれど、そういうのはもう生まれ持ったものでしかないんでしょうか。そういうセンスあふれる物ものに触れていくことで形成される自分自身から、オリジナルのセンスを絞り出すことはできないのでしょうか。誰かセンスの養い方を教えてください。
 

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 教養として観てみよう、と思ってみました。犯罪を重ね逃亡を続けながら暮らすボニーとクライドは、銀行強盗を繰り返し生計をたて、折々で何人か仲間を迎えながら、底なし沼をずるずると走っていくというお話。実話らしいですよ。
 どんどん引き返せなくなっていく感覚と、ボニーが時折それにうろたえ悔やみすらする姿がすごく印象的でした。クライドはもうそういうことでしか生きてこなかったということもあってか、そういったそぶりは全くみせなかったけれど。
 
 というかとにかくボニーが美しい。もうずっとボニーだけをみていました。もちろんクライドもハンサムなんだけれど、性格がわたしのタイプとはかけ離れたやんちゃボーイなのでそこまで魅力的には感じませんでした。ボニーもクライドと遜色ないやんちゃ具合ではありましたけれど、前述したうろたえ悔やむといった人間らしい弱い面のようなものを度々見せてくるあたりがどうしてか魅力的でした。いつもはツンと済まして強気でいるのに、というのは余計弱った姿を引き立たせます。
 ボニーのベレー帽姿、筆舌に尽くしがたいかわいさ。何十年も前の映画なのに、まったく廃れを感じさせない、むしろ現在でもなおかっこいいスタイル。ボニーの姿を外見も内面も含めてじっと見つめるためだけに観てもいい映画だと思います。
 
 この映画は放映当時では考えられない、というか禁止されていたいくつかのタブーを破って大反響を呼んだそうです。確かにそれらに照らし合わせるとそうなんですが、それが当たり前になってしまった、とくに珍しくもなくなった現代を生きるわたしたちがみても、当時の衝撃が味わえないのが、こういう映画史に残る映画を観るときにすこし物足りなさを感じてしまう部分な気がします。当時観たらもっと衝撃だったろうに!(当たり前だけど)と思ってしまう。今この映画を観てストレートに「なんか物足りないなー」と思うわけじゃないんだけれど。こういう部分が当時すごかったんだよ、と強く言われてもイマイチ体感できてないのが「ふーん」で終わってしまう原因だ。「ふむふむ」ともなるのだけれど。
 
 ラストシーンについて言及します。わたし基本ネタバレは観ずに本編に挑みたいタイプの人間なんですが、ツタヤで借りる時点でパッケージにおもいきりネタバレがされていたので結末を知った状態で観てしまいました。まあ有名なシーンらしいのでもう知ってるでしょ的スタンスなのか、これは知っててもとくに問題ない結末と処理されたのかわかりませんが、ふたりが結果的に何十発の銃弾を浴びて絶命する、というのを踏まえたうえで観ていたので、終盤になるといまかいまかとすごくそわそわしました。
 銃が発砲される前にふたりが見つめあう瞬間のカットが好きです。この映画のなかで一番彼らのつながりを強く感じれたシーンでした。この言葉に表せないことを一瞬で表現してしまえる映画は、すごく価値ある文化だ。
 
 
 the cabsに「僕たちに明日はない」という歌がある。歌詞の内容が直接この映画のことを歌っているかというと、そういうふうには見えないけれど、タイトルはこの映画からもってきたんじゃないかなと思う。
 わたしもわたしに明日はないというくらいの気負いで、毎日を今日限りのものとして精一杯生きよう。ちゃんと生きよう。抽象的だけれど、そう思いました。
 
 
 おわり